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先日、北海道日本ハムファイターズの監督に就任した、新庄剛志氏。
監督就任会見では早速
「監督ではなく、ビッグボスと呼んでほしい」
「日本に居なかったから、時代の怖さを感じない」
「ユニホームを着ていないから名前がさっぱりわからん。」
などと言った名言が飛び出しましたが、新庄監督は過去にもどのような名言、またはエピソードを残したのでしょうか?
新庄監督の名言やエピソードをまとめてみました!
新庄剛志の元気が出る名言7選!
新庄の名言①野球に対するセンスと能力がないから辞めたい。Jリーガーになる
これは、1995年に開かれた新庄剛志による伝説の引退会見で飛び出したトンデモ発言です。
実際に新庄選手が現役を引退したのは2007年で、日本ハムファイターズに所属していた時期になります。
しかし1995年、新庄選手がまだプロ入り5年目で阪神タイガースに所属していた頃、事件は起こりました。当時、チームの雰囲気が緩んでいた為か遅刻者が続出していたタイガース。そんな彼らにカミナリを落としたのは、当時1軍監督の藤田平監督でした。
全体練習が行われていたある日、足首を痛めていた新庄選手は別メニューで調整する事になっていました。当然、球場への入り時間も他の選手とは違うため、約束通りの時間に到着した新庄選手でしたが、その情報が伝わっておらず「今度は新庄が遅刻した!」と勘違いした藤田監督は、選手全員に正座を命じ、あろうことか足首を負傷している新庄選手にまでそれを強要しました。
また、シーズン後にも故障した右ひじの治療に専念したいと訴えた新庄選手に黒潮リーグ出場を強要。
それに腹を立てた新庄選手はシーズン後の会見で「野球に対するセンスと能力がないから辞めたい」「Jリーガーになる」ぶち上げ、関係者はおろか、球界全体を騒然とさせました。
結局、それを心配した新庄選手の母が「剛志が引退するショックでお父さんが倒れた」と嘘を伝え、それを信じた新庄選手は「父の命には代えられない」と引退を踏みとどまりました。
新庄剛志、23歳の冬の出来事でした。
新庄の名言②記録はイチローくんにまかせて、記憶はボクにまかせて
敬遠球を打ちサヨナラ打を決めたり、ヒーローインタビューで「明日も勝つ!」と宣言した後の試合で12連敗を喫したり、オールスターでホームスチールを決めたりと、何かと笑えるエピソードが多い新庄選手。
そんな新庄選手がアメリカに渡ったのは2001年の事でした。そして、同時期に同じ外野手がアメリカに渡りました。それが、イチロー選手です。
メジャーリーグを舞台に数々の記録を打ち立て、メジャーでも殿堂入り間違いなしと言われるイチロー選手。
そんなメジャー同期の活躍に触発されたであろう、新庄選手の口から漏れたのがこの言葉。
新庄選手の代名詞でもある「記録よりも記憶に残る男」の異名はこの発言から生まれました。
新庄の名言③これからはメジャーでもない。セ・リーグでもない。パ・リーグです!
2003年。当初よりメジャーでの挑戦は3年までと決めていた新庄選手が次に選んだ舞台はパリーグでした。しかも、北海道に移籍してすぐの日本ハムファイターズです。
その頃のファイターズと言えば、読売ジャイアンツと同じ東京ドームを本拠地としており、ジャイアンツ戦が連日連夜超満員となっているのに対して、ファイターズは閑古鳥が鳴くような状況でプレーをしていました。そして2004年に北海道に移転したものの、北海道もまた巨人ファンが多数を占めるような状況でした。
新庄選手は、そんなファイターズに移籍を決めました。そして会見場で放ったのが
「これからはメジャーでもない。セ・リーグでもない。パ・リーグです!」
という言葉でした。それからというもの、新庄選手はプレーだけでなく様々な思考を凝らしたパフォーマンスを敢行し、日本ハムのみならずセリーグに比べて不人気球団揃いであったパリーグの人気まで引き上げました。
そして現役最終年の2006年、ファイターズは44年ぶりの日本一を達成し、満員の観衆に見守られながら、新庄選手は見事、有言実行しました。
新庄の名言④俺、毎日が日本シリーズなら4割打てるわ
新庄選手は現役最終年、満員となった札幌ドームでは打率.438を記録しました。シーズンの打率が.258だった事を考えると、その数字は偶然ではない事が分かるでしょう。
そんな新庄選手がプレーオフや日本シリーズの大舞台に立ったら…その結果は言うまでもありません。打率は.346を記録し、見事チームの日本一に貢献しました。
新庄の名言⑤ みんな夢はあるかい?
「みんな、夢はあるかい? 1%の可能性があれば、必ず、できる。今日からトレーニングを始めて、もう1回、プロ野球選手になろうと思います。みんなも何か挑戦しようぜ」
そんな華々しい引退劇から13年。バリ島に移住し、モトクロス競技に挑戦したり絵を描いたり( https://sakaagari-blog.com/shinjo-egaumai.html )と悠々自適な日々を送っていましたが、2019年に突如として現役復帰を宣言。
2020年のトライアウトを目指すと公言して以降、instagramなどでトレーニングの様子を投稿しており、その本気度は誰もが認めるところとなっていました。
そして本番のトライアウトでは、3打数1安打1打点と結果を残しました。
ただ、プロの世界は厳しく、48歳となったかつての大スターにオファーを送る球団は現れませんでした。新庄選手の挑戦もこれで終わりかと思われた2021年。まさかの展開が待っていました。
新庄の名言⑥ 監督就任の記者会見
「たった今、北海道日本ハムファイターズの監督に就任する事が決まりました。 プロ野球の存在意義は そこの街に住む人達の暮らしが少しだけ彩られたり、 単調な生活を少しだけ豊かにする事に他なりません その裏側に誰を笑顔にするのかを常に心に秘めて 新庄剛志らしく突き進んで生きます!」
なんと、北海道日本ハムファイターズの監督に就任する事が発表されました。
この新庄監督の言葉からは、野球関係者としてではなく、プロ野球関係者としての矜持を感じる事が出来ます。
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ただ、野球をして結果を残すだけではなく、
・自分の給料はどこから出ているのか
・なぜ出ているのか
・誰を一番に楽しませ、幸せにするべきなのか
を考え続けている新庄監督ならではの言葉だと思います。
就任1年目。新米監督の新庄監督はどのような戦いを見せてくれるのでしょうか。
新庄の名言⑦ 清宮にデブじゃね?もうちょっと痩せない?
新庄監督は清宮幸太郎選手に「デブじゃね?もう少し痩せない?」と言いました。
清宮が「パワーが落ちて飛距離が落ちるのが心配」と言いました。
新庄「今もそんなに打球飛んでないじゃん。昔の方がもっと飛んでた。昔の方がスリムじゃなかった?それはキレがあったから。今はキレがない気がする。痩せた方がモテるよ。カッコイイよ。スタイルのいい野球選手がベストでしょ?」
約1分間。清宮は少し恐縮した表情を見せながら聞き入っていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/87f1b84daaa156b8c82af213696bcdbdab3cedcb
これはよかった!清宮君の打球、飛んでないですからね!新庄監督の言うことはなんかお茶目な中に重みがあります!
その後、記者団に「なんか俺、デブって人として情けない気がする。精神的にちょっと弱い気がして。管理できてないから。野球選手に多くない? 引退したあと。あれは本当に見たくないのよ」と言いました。
まさにこういう人は多いです!
例:江夏豊、日本ハム木田優夫投手コーチ、清原和博、元阪神の亀山さん。
清原和博が怒りましたが、新庄監督は「プロ野球の存在意義」まで考えてる人です。清原和博の発言には一切触れず、今に至っています。
プロ野球OBには新庄監督のファッション、発言を批判する人はいるでしょうけど、批判より応援する人のほうが多いです。新庄さんにはがんばってもらって日本を明るくしてほしいです!
新庄剛志 器が大きいエピソードが心温まる!
新庄エピソード①プロ入り時から引退まで同じグラブを使い続ける
新庄選手は、プロ入り時に初任給で購入した久保田スラッガーの7500円のグラブを現役引退まで使い続けました。新庄選手は苦楽を共にしてきたこのグラブを「もはや自分の手だ」と表現し、現役引退の理由の一つとして、このグラブの経年劣化もあると語ったそうです。
そのグラブは新庄選手の現役引退後、のお父様が他界した際にそのグラブも一緒に棺に入れたそうです。
新庄選手を見ていると、華やかなプレーやパフォーマンスに目が行きがちですが、こういった道具を大事にする姿勢も見習いたいものです。
新庄エピソード②森本稀哲を更生させる
若手時代、開幕スタメンに指名されるも思うように結果が出ず、次第にコーチの言う事に対しても反抗的な態度を見せるようになっていた森本稀哲選手に新庄選手は
「良い物を持っているんだから、自信を膨らませろ。凡打でも堂々と帰ってくればいい」
とエールを送りました。
その後も新庄選手と食事やパフォーマンスを共にした森本選手は、新庄選手引退後にファイターズの背番号1を背負うまでの存在となりました。
森本稀哲は横浜DeNAに移籍後、頼れるベテランとして若手を支える存在となりました。
特にかつての自分と同じように結果が出ずに悩んでいた若手時代の梶谷選手に対して
「当てにいった凡打は(次に)つながんないよ。その場しのぎのヒットは大事かもしれないけど、 俺はそこを目指すべきではないと思う。カジ(梶谷)なんか特に若いんだし」
と、かつて森本選手も新庄選手からアドバイスを受けたように、自信を持って思いっきり相手にぶつかっていく姿勢の重要性を若き日の梶谷選手に説きました。
かつて新庄選手を指導した野村克也監督はこのような言葉を遺しています。
「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」
現役時代に人を遺した新庄選手は、監督としても素晴らしい選手を育成することでしょう。
新庄剛志監督の下なら、中田翔も日本ハムで復活できたかもしれませんね!
新庄エピソード③チームで孤立していたダルビッシュを救う
東北高校時代に甲子園で活躍し、鳴り物入りでファイターズに入団したダルビッシュ選手は、プロ1年目にして喫煙パチスロ事件を起こしてしまいました。
当時は態度も悪く、練習メニューも出されたものだけをこなして他はサボったり、ルーキーにも関わらず試合前にロッカールームで寝転ぶなどの暴挙を犯していたそうです。
次第に、ダルビッシュ選手はチームから孤立していきました。
そんな折、ダルビッシュ選手に声を掛けたのが新庄選手でした。
「有ちゃん、タバコ吸ってんの?」「吸いたくなったら俺に言え。俺があげるから」と当時未成年のダルビッシュ選手に声を掛けました。
その後も新庄選手はダルビッシュ選手にアミノ酸のサプリメントを渡したり、食事に誘ったり、ファッションに無頓着なダルビッシュ選手に「有ちゃん、そんなんじゃダメだよ。周りに目標とされるようなファッションをしないと」と声を掛け、BMWのキャリーバッグをプレゼントしたり服をプレゼントしたりしました。
今でこそ、かっこいいダルビッシュですが、新庄さんに色々教えてもらったんですね!新庄さんは後輩を育ててきたんですね。
この時のエピソードに関しては、新庄選手がダルビッシュ選手に声を掛けた理由として、ルーキーイヤーのダルビッシュ選手を見て「球界を変える逸材になる」と感じたからだそうです。
いい素材を持っていても埋もれてしまう選手も多い中、伸びていく選手を見抜く審美眼を持つ新庄選手は監督としても期待大ですね!
新庄剛志の名言7選・性格がいい話のエピソードが心温まる!まとめ
これまで、数々の名言や伝説を残してきた新庄監督。
その一つ一つにファンへの思いやりや仲間を大切にする優しさが見え隠れしています。
また、良い素質を持っていながらも埋もれそうになっていた森本選手やダルビッシュ選手の才能を拾い上げ、開花させた点については、監督としての素養の高さを感じさせるエピソードでした。
森本選手は先述したように、頼れる先輩として後輩にアドバイスを送るような選手になりましたし、ダルビッシュ選手も毎年オフになると後輩を集めて自主トレを開催しては自らのトレーニング理論や野球に関する考え方を後輩に伝えています。
彼らがこのような存在になった背景には、新庄監督とのエピソードが彼らに影響を与えた部分があるのでは無いかと思います。
そんな新庄監督は、次はファイターズでどのような選手を育成するのでしょうか。
非常に楽しみになってきました。
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