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現在、北海道日本ハムファイターズの“ビッグボス”としてテレビやメディアに引っ張りだこの新庄監督。そんな新庄監督の両親や兄弟などといった家族構成はどのようになっているのでしょうか。その点について調べてみましたので、是非ご覧下さい!
実家の場所はどこ?
新庄監督が生まれたのは長崎県下県郡美津島町です。
現在は対馬市と呼ばれている土地で、こちらは新庄監督の母親である新庄文子さんの実家がある場所とのことでした。
育った実家は福岡県福岡市南区で、新庄監督の父親である新庄英敏さんの実家がある場所だったとのことでした。
福岡市南区といえば 整備された公園や、昔作られた農業用のため池などが点在しており、緑が住宅街の中に多く残されている環境の良さが特徴です。 福岡市の行政区のひとつである南区は、市の南側にあり、全域に住宅地が広がるエリアとのことです。
新庄監督も住宅地の中で育ったのでしょうか。
新庄監督の両親(父親・母親)
新庄監督のご両親について調べてみると、おふたりともなかなかに強烈なキャラクターでしたので、そのエピソードをまとめてみました。
新庄監督の父 英敏さん:偽薬を飲ませて頭痛を直す
幼少期、頭痛持ちであった新庄監督。
実家があまり裕福でなかったために薬を飲ませてもらうことが出来なかったそうですが、
ある日どうしても頭が痛くて仕方が無かったとのことした。
幼かった新庄監督は「すみません、どうしても頭が痛いので薬を飲ませて下さい!」と英敏さんに頼んだそうです。
すると頭痛が治ったそうですが、そんな新庄監督を見て英敏さんが一言。
「それ、下痢の薬や」「気持ちが大事なんや」とのことでした。
俗に言うプラシーボ効果だと思いますが、なかなか強烈なエピソードですね。
このような家庭で生まれ育った新庄選手だからこそ、怪我を押してでも試合に出場するガッツが育まれたのでしょう。
新庄監督は自宅で産まれた?
新庄監督が産まれたのは長崎県下県郡美津島町(現・対馬市)になります。
そんな新庄選手は病院ではなく、自宅で産まれたとのこと。
また、病院で出産となると入院費用などの出産に関わるお金が沢山必要になってくるので、あまりお金が無かった新庄家の金銭事情等を考えると自宅で出産するほかなかったのかも知れません。
さすがに1人で出産は出来ないとは思うので、助産師さんにお願いして出産をお手伝いしてもらったのかも知れませんが、新庄監督が産まれた1972年当時で自宅出産というのはなかなか珍しいのではないでしょうか。
新庄監督に勉強をさせなかった
新庄監督がまだ2〜3歳だった頃。
敏英さんはまだ幼かった新庄監督をなんと海に放り込んだ事があるそうです。
通常でしたら危険極まりない行為ですが、新庄監督はスイスイと泳ぎ始めたそうです。
それを見て敏英さんは「この子はスポーツ選手にさせる」と決心したそうです。
普段はこのようなお願いに応じてもらうことは出来なかったそうですが、この日ばかりは「仕方ないな」という事で薬を渡してもらえたそうです。
そして勉強が出来なかった新庄監督に「お前はスポーツ選手になるから勉強しなくてもいい」と言い放ち、徹底的に長所を伸ばす教育をしたそうです。
それで実際に新庄監督はプロ野球選手、メジャーリーガーにまでなったのでこの教育法は精巧であったと言えるでしょう。
ただ、誤解のないように補足すると「勉強しなくてもいい」というのは成績が悪くてもガミガミ言わないという意味であって、学校に行かせなかった訳ではありません。
新庄監督の母 文子さん:夫婦喧嘩で刃物が登場!?
新庄監督の母親である文子さんもなかなかに強烈なキャラクターを持つ方でした。
というのも、夫婦喧嘩で刃物が登場したことがあるそうです。
夫婦喧嘩で皿が飛び交ったり手が出たりなどといった話は度々聞く話ではありますが、刃物が出るまでの話となると現代では警察を呼ばれるレベルですね…。
なぜここまでの話になってしまったかと言うと、朝まで酒を呑んで帰ってきた敏英さんが酔っ払って寝ていた文子さんに「おい、起きろ」と声を掛けたところ、激昂した文子さんが刃物を持ち出したとのことでした。
さすがに驚いた敏英さんはしばらく大人しくしていたそうですが…。
造園業を営んでいる家庭ですので刃物は沢山ありそうですしね。
それらは木を切るものですので、人を切る目的で使われなくて何よりです。
新庄監督 父母の職業
新庄監督の父親である敏英さんの職業は、先ほどもお伝えしたとおり造園業を営んでいるとのことでした。
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そして母親である文子さんは専業主婦でした。
敏英さんが営んでいる会社は「新庄造園」という社名で、一時期新庄監督のYouTubeチャンネルのチャンネル名にもなっていました。
また、新庄監督の道具を大事にする姿勢は敏英さんから学んだものだそうです。
敏英さんは、仕事が終わると毎回枝の剪定などで使うハサミをキレイにする姿勢を見せており、その姿を見た新庄監督は道具を大切にする事を心に決めました。
そんな新庄監督は、敏英さんと同じようにプロ入り後の初任給で購入した7500円のグラブを引退まで使い続けました。
そのグラブは敏英さんがお亡くなりになられた際に棺に一緒に入れました。
TV出演してたらその時の様子
何度もテレビに出演している新庄監督ですが、ご両親や家族はテレビに出演していませんでした。
ただ、英敏さんについては新聞社の取材を受けたり、球場で試合を観戦をする姿が記事になったり、極め付きは子育て本を出版していました。
自分から売り込んでいってる訳ではないかと思いますが、メディアへのサービス精神の高さは息子譲りといいますか、新庄監督のスター性はもしかしたら英敏さんから受け継いだものなのかも知れません。
この本については、今度時間がある時に読んでみたいと思います。
新庄監督のご両親のなれそめ
新庄監督のご両親の馴れ初めについて調べてみたのですが、有力な情報は掴めませんでした。
ただ、敏英さんの出身地は福岡で、文子さんの出身地は長崎と、自由恋愛ではなかなか出会えない距離感ですので、どなたか共通の知人や親戚が間に入ってのお見合いだったのではないでしょうか。
もし恋愛結婚なのだとするなら、2人はどのように出会っていたのでしょうか。
そしてどのようにして愛を育んでいったのでしょうか。まだ携帯電話が無い時代ですので、文通や固定電話でのやり取りだったのかも知れませんね。
想像が膨らみますね!
新庄監督の兄弟姉妹
新庄監督が生まれ育った新庄家は、一家の主である敏英さんと母である文子さん、長男の剛志さんと姉の真由美さんの4人家族です。
姉の新庄真由美さんについては、あまり勉強が出来なかった新庄監督とは違い学業優秀で、偏差値76の高校に進学したそうです。
偏差値76といえば、福岡や九州どころか全国トップクラスの偏差値ということになります。
ある日、新庄監督が真由美さんに「なんで勉強もしてないのに100点ばかり取るの?」と聞いたところ、真由美さんは「そんなもん、先生の言ってることを聞いていたらわかるやろ」と答えたそうです。まさに天才…。
そんな真由美さんは現在闘病中で、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気と戦っています。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)は筋肉が痩せ力が入らなくなる難病です。
数年前に有名人の間で流行ったアイスバケツチャレンジは、この病気の研究を支援するため「氷水を被るか・ALS協会に支援するか」しようという活動です。
この運動の特徴は、指名された人は必ず次に誰かを指名してアイスバケツチャレンジに参加させるというルールがあるということです。この運動の形式は2020年頃に頻繁に行われていた数珠つなぎリレーにも応用されています。
新庄監督がトライアウトを受験して現役復帰をしようとした背景には、難病と戦う真由美さんを勇気付けたいという思いもあったようです。
新庄監督の父親・母親・姉 まとめ
今回は新庄監督の両親やお姉さんについて調べてみました。
個性あふれる新庄監督のご両親はやはり特徴的な方でしたし、新庄監督自身、あまり勉強が得意でなかったということもあり、学業優秀なお姉さんがいらっしゃったとは思いませんでした。
現在は難病と戦っているという事で、少しでも真由美さんの体調が良くなればと思います。
新庄監督はプロ野球で結果を出し、監督にまで上り詰めました。
お姉さんが偏差値76の高校に行かれています。かつ、新庄監督も偏差値こそ高くはないですが、監督になってプロ野球界のことを考えた行動に、数値には現れないが、頭がいいことが証明されましたね。
お姉さんにはプロ野球の監督になった弟の姿を見て少しでも勇気付けられると良いですね。
様々な思いを背負って戦う新庄監督の今シーズンに期待です!
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