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カーリング日本代表として出場「ロコ・ソラーレ」
その明るさと美貌で日本中を癒やした彼女らですが、その中でもダントツの人気を誇るのが藤澤五月選手です。
今回は、そんな藤澤選手がどんな学生だったのかについて迫っていきたいと思います。
藤澤五月選手の幼少期のエピソード
実は鈴木夕湖選手と親戚だった!
これは知る人ぞ知るエピソードなのですが、
藤澤選手と鈴木夕湖選手は、ロコ・ソラーレで共にプレーするチームメイトでありながらも実はお互いの父親がいとこ同士という、はとこの関係なのです!
言わば遠い親戚という事になりますが、オリンピックを親戚と共に戦うというのもなかなか珍しいシチュエーションですね。ちなみに、レギュラーメンバーとして試合に出場して戦っている残りの2名(吉田夕梨花選手と吉田知那美選手)は姉妹という、全員が誰かしらと血縁関係があるチームです!
リンク上でのコミュニケーションが大切と言われるカーリングの世界ですが、その中でもその能力に優れていると言われるロコ・ソラーレ。
チームワークはおろか、ここまで血の繋がりが強いチームは日本のトップチームの中では例がありません。こんなメンバーを揃ったのはある種の奇跡ですね!
5才からカーリングを始め、いきなり才能を発揮する!
オリンピアン候補の父と、ミックスダブルスで平昌オリンピックに行きかけた母。
20kgのカーリングストーンをいともたやすく扱う5歳児
藤澤選手は、長野オリンピックのカーリング競技で最終候補にまで残った父と、そんな父と2人でミックスダブルスを組み、危うく平昌オリンピックに出場しそうになった母の間に生まれました。
両親兄弟の全員がカーリングをしているという環境で生まれ育った藤澤選手は当たり前のように5歳でカーリングを始めました。
末っ子はスポーツで優秀な成績を残しやすいと言いますが、藤澤選手も5才にして20kgもの重さがあるカーリングストーンをいともたやすく操っていたそうです。
この頃から才能の片鱗が見え隠れしていますね。
とんでもない負けん気エピソードが!
一流アスリートを語るエピソードとして「負けず嫌い」というワードは必ずと言っていいほど藤澤選手も例に漏れず負けず嫌いだそうです。
藤澤選手は家族内でやっているトランプゲームで負けるだけでも大泣きしていたようです。
家族にこういう人が居ると空気が壊れてしまいそうですが、アスリートとしては必要な素養だったのかもしれません。
また、藤澤選手は父・充昌さんも藤澤選手の負けず嫌いぶりを認めていたようです!
藤澤五月選手の小学校時代のエピソード
藤沢五月選手の小学校や出身の有名人は?
藤澤選手は北見市立美山小学校に通っていました。
こちらの小学校出身の有名人には、元・アイドリング!!!の菊地亜美さんがおり、日本中にそだね~旋風を巻き起こした平昌オリンピック時にはこの件に触れなかったことで炎上するという、謎の理由で炎上に巻き込まれていました。
多種目でも活躍!水泳やマラソンでも才能を発揮!
藤澤選手の才能はカーリングだけにとどまらず、長距離走や水泳にも発揮されました。
校内のマラソン大会では常に上位で、水泳ではスクールの先生から上級クラスに誘われるも「退屈だから」という理由で拒否したとのことでした。
藤澤選手は陸上や水泳などといった単純な動作が続く競技より、繊細で複雑な動作が入る上に、頭脳をふんだんに使うカーリング競技の方に魅力を感じていたのですね!
藤澤五月選手の中学校時代のエピソード
藤沢五月選手の中学校や出身の有名人は?
藤澤選手は北見市立北中学校に進学しました!
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出身の有名人には青汁王子として有名な三崎優太社長がいらっしゃいます!
藤澤選手は1991年生まれで、三崎社長は1989年生まれなので、ギリギリ在校期間は被っていますね!
お互いに交流や共通の知人などは居るのでしょうか。
とても気になるところです。
中学1年生にしてチームのスキップを任される!
中学校に進学した藤澤選手は、姉の汐里さんなどと共に「ステイゴールド」というチームを結成しました。ステイゴールドというとHi-STANDARD を思い出しますねw
現在30歳の藤澤選手は青春時代がメロコア全盛時代とモロかぶりしているので、ひょっとしたらチーム名の由来になっているのかもしれません。人によっては伝説の競走馬を思い出すかもしれませんが。
そんな藤澤選手は中1の頃に姉の汐里さんとスキップ(最終投石者)のポジションを交代しました。
スキップとは、味方がストーンを投げる場所を指示したり作戦を練ったり、スウィーパーと言われるブラシで氷上を擦ってストーンの曲がり方や伸び方を調節する人に対して指示を出した上で、最後は自分が石を投げるという、チームの中でいちばん重要なポジションを任されました。
藤澤五月選手の高校時代のエピソード
藤沢五月選手の高校と偏差値、出身の有名人は?
持ち前のカーリングスキルを活かして中学でも大活躍した藤澤選手は北見北斗高等学校に進学しました。
この高校の偏差値は62と、北海道内473校中28番目の偏差値(出典:https://www.minkou.jp/hischool/school/deviation/4290/)と、進学校に進みました。
やはり、氷上のチェスと言われるカーリングの中で最も頭脳が要求されるポジションをこなしていたからでしょうか。それとも、中学教師を勤めている父・充昌さんの遺伝なのでしょうか。
いずれにせよ、藤澤選手は聡明な女性であるということが伺い知れます。
ちなみに、この高校の有名人には、元・THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのドラマー・クハラカズユキさんがおられます。ミッシェルの世界の終わりは名曲ですよね。私も大好きなのですが、バンドで世界の終わりと言うとSEKAI NO OWARIになってしまうのが悲しい今日この頃です。
高校1年生にして日本ジュニア優勝!そして世界の舞台へ…
藤澤選手は高校1年にしていきなり日本ジュニア選手権で優勝を飾ります。
もちろんポジションはスキップで、並み居る強豪を撃破して世界ジュニア選手権への切符を掴みます。
ちなみに、日本ジュニアを高校1年で優勝するということは、そのまま言い換えると1年生投手が甲子園を制覇するようなもので、野球界では桑田真澄くらいしか成し得なかったような偉業をいとも簡単に達成しました。
ちなみに、翌年も日本ジュニアを制し、見事2連覇を達成しました。
そして世界選手権では7位入賞。パンパシフィック選手権では優勝と、世界の舞台でも一定の結果を残しました。
そして「進学校の中で、高卒で就職したのが私だけだった」という状況の中、藤澤選手はオリンピックを目指し、舞台を一般の部に移して闘いを繰り広げていきます。
そうして、日本女子カーリング界に一時代を築く事になるのでした。
ジュニア時代の主なライバル〜黄金世代と呼ばれる91年世代〜
先程は、藤澤選手はジュニア年代で敵なしだったという事をお伝えしましたが
藤澤選手の同年代には現在も4強(ロコ・ソラーレ、フォルティウス、中部電力、富士急)と呼ばれる、オリンピック出場を本気で目指している日本のトップチームで活躍する選手が多数在籍しており、いわゆる黄金世代と呼ばれています。
ちなみに藤澤選手がジュニア年代の時に出場したとある大会のメンバー表は以下の通りです。
ちなみに、この中で4強に在籍している選手は以下のとおりです。
ロコ・ソラーレ
藤澤五月
吉田知那美
鈴木夕湖
吉田夕梨花
フォルティウス
吉村紗也香
小野寺佳歩
近江谷杏菜
中部電力
清水絵美(現・マネージャー)
富士急
石垣真央
カーリングは、基本的に試合に出るのは16名です。
そのうち9名が同年代というのはなかなか驚異的ですね。
藤澤五月という圧倒的なスターがおり、同年代にいい選手が沢山出てきているという状況は野球で言うところの松坂世代やハンカチ世代のような感じがありますね!
また、藤澤選手が所属していたステイゴールドⅡの控えにお母さんである尚子さんの名前が入っていたのも気になるところです。
藤澤五月のプロフ・経歴~高校・大学は?まとめ
いかがでしたでしょうか。
藤澤選手は才能や家庭環境に恵まれているのはさることながら、同年代の強力なライバルとお互いを高め合い、その才能を磨いていったということが伺えます。
その結果、日本の女子カーリングのレベルは飛躍的に向上していき、世代のトップランナーである藤澤選手は日本カーリング界初のオリンピックメダリストとなりました。
今後も、藤澤選手のみならず素敵なライバルにも注目していきたいと思います!
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「子どものころから負けん気がすごくて、家族でトランプをしていても“私が1番じゃないとイヤ!”と言って、泣き出すくらいでした。カーリングの選手だった父の影響で、兄も私も選手でしたが、私たちに負けたくなくてのめり込んでいったんだと思います」
«週刊女性 2018年2月26日より»